2014年03月03日
読谷村字楚辺

前回撮り逃した読谷村のマンホールをやっと撮影することができました
でもちょっと写りがよくないかも…

また私の影も写り込んでるし

というのもこちらを撮影している時に子連れのお母さんが
「なにかあるんですかー?」
と聞いてこられて…(笑)
何となくマンホールの撮影をしてますとは言えず
「ええまあ」とかごまかして逃げました
^^;
読谷村のマンホールは何と言っても
真ん中にどんと配置されたこの進貢船がメインです

※進貢船とは
以下ウィキペディアより
進貢船(しんこうせん)とは、14世紀から19世紀中期まで行われた、対中国交易・使節を派遣するために用いられた琉球王国の官船。船首部の獅子の絵と舷側の目玉が特徴である。
1372年12月、琉球の中山王・察度が弟・泰期を明に遣わし洪武帝に進貢したが、これが進貢船の派遣第一号である。最後の進貢船の派遣は、1874年(明治7年)。
進貢船は交易指定港とされた福建省福州まで渡航する。正副使やその従者は陸路北京に赴き、皇帝に拝謁する。それ以外の乗組員は福州の琉球館に滞在した。
これですこれ

大河ドラマの琉球の風で結構目立った扱いされてましたよね

この進貢船に初めて乗り組んだ人物が読谷村出身の泰期という人らしく
それでゆかりがあるんでしょうね

そしてシンプルに進貢船だけかと思いきや
よく見るとまわりに幾何学模様のようなものが見えます


これは多分伝統的な読谷山ミンサーの柄なんじゃないかなーと推測
読谷山ミンサーはこんな感じの織物です


歴史を感じる読谷村の素敵なマンホールでした
